台湾大震災被災遺児達への支援
台湾孤児援助ー涙の時を越えて
921台湾大震災被災遺児達への支援
1999年 9月21日台湾大震災後、本会は被災孤児や親子に対しての援助を行なって来ました。
つき崩れた瓦礫の下で命をひきとった沢山の命。残された小さな子供たちは、救うことのできない親や兄弟の命を目の前で看取るという悲劇を体験しました。本会メンバーは援助物資を背負い、921震災の翌日に台湾入り。各地区をまわって被災状況を調査すると共に援助物資を手渡してまわりました。
その後、本会では深く心に傷を負った震災孤児に対し何ができるかを検討し2000年より『台湾青少年日本旅行』を開始。2003年まで4年間に亘り実施しました。メンバーは旅行実施の為に幾度も台湾を訪れ、孤児家族の一軒一軒を回って、被災状況や彼等の心身の状態を把握。そして全4回の『台湾青少年日本旅行』全てにおいて、深い心の傷を癒すためのプログラムとして、「スキー」を行いました。一時も離れない地震と被災の恐怖、何より目の前で親や兄弟家族を失うという強烈な情景を、「スキー」という体験を通して、子ども達の頭の中から一瞬でも払拭する為です。
台湾で雪をみたことのない子ども達は、真っ白な世界を見て、歓声を上げました。そして、初めて雪の上を滑る驚き、転ぶ恐さ楽しさを体験。滑っては転び、転んでは滑りを繰り返す中、その一瞬一瞬の刺激によって、震災以来、日々片時も離れることのなかった心の傷の情景から子ども達は解放されていったのです。いつしか、付き添っているメンバーに対し、彼らは心開き打ち明けました。「もし、僕がもっと大きかったら、お母さんを助けられたかも知れない」「お父さん、お母さんが死んでしまってから泣いたことがなかったよ」そう語る子ども達に、メンバー達は「泣いていいんだよ」と彼らをぎゅっと抱きしめました。
震災で夫を亡くしたある女性は、娘が初めてのスキー板をはいて懸命に滑り降りて来る姿を見て、涙を流しました。震災以来、無気力で無口だったその子は、雪の坂を滑り、また一生懸命に登り、お母さんの前に誇らしげに滑り降りました。「雪がきれい。この雪を思い出に台湾に持って帰りたい。台湾のみんなに見せてあげたい」と、ビニール袋にせっせと詰めようとするそのお母さんに、メンバーは雪が溶けてしまうことを説明しなければなりませんでした。
帰国の前にそのお母さんが、残してくれた感想文には、こう書いてありました。「震災以来、私は娘が笑うのを初めて見ました。旅行の間、娘の郁君(ユージュン)は夢の中で笑っていました」と。

「たったひとり」の人生はない
そして、これらの旅行を共に体験して、私たちが改めて知ったことは、「大人も傷ついている」ということでした。
子ども達に対してメンバーは繰り返し、語りました。「あなた方のお父さんやお母さんは、姿が見えなくなったけれども、あなた達を見守っていますよ。肉体を去っても意識は、魂はあるのですよ。お父さんもお母さんも片時も離れずあなたを護っています。だから、苦しい時、辛い時、独りだと思ってはいけません。お父さん、お母さんの名を呼んでいいんですよ。必ず助けてくれます。そして、困って助けてほしかったら私たちを呼びなさい。力になります」
親達もまたこの言葉を聞いて涙しました。彼らはこう語りました。「皆さんが子どもに対して語ってくれた言葉、それで心が救われた思いです。私は、この震災で親を亡くしました。震災以来、子どもを守らなければいけない、その一心でやって来ましたが、今、この言葉を聞いて、私の親もまた私のもとから離れていったのではない、傍にいるのだと思えました」
7年の時を経て、第1回の『台湾青少年日本旅行』に来た子ども達も、もう大人になっています。
きっと逞しく日々を歩んでくれていることでしょう。くじけた時や、心寂しい時、彼らが旅行のアルバムを開け、雪の上を滑って転んだあの日、皆で無心に雪合戦したあの時を思い出して、また再び笑顔になってくれたら、私たちはとても嬉しく思います。「自分のことを思ってくれた人がいた」こと、「自分という存在を大切に思っている人がいる」ことを皆に忘れずいてもらいたい。
「たったひとり」で人生を歩まなければいけない人など本当はいる筈はありません。その人が自覚しなくとも、誰もが愛され、生きるだけの力を与えられているのです。
私たちは困っている人の力になりたい、と思っていますが、その人自身が自らという存在を信じ頼りにして、自ら立ってゆけること、それが最も大切なことだと考えます。
世界の中で、私たちひとりひとりは小さな存在です。けれど、その私たちが心を共に、力を合わせれば大きな力となること、誰かの力になれることを私たちは信じ、これからも歩んでゆきたいと思います。
台湾の各地方政府より、本会の援助に対して、感謝状が贈呈されました。その中から、台中市長からの感謝状を紹介します。
- 台湾台中市政府からの感謝状
日本ユニバース国際援助基金- 山口修源会長
- 貴会が本会執り行われた「台湾青少年日本体験旅行」において、当市震災片親児童を貴国に招待頂きました事について、当政府は児童達を代表しここに再度御礼申し述べますと共に、貴会の当市被災児童への度重なる暖かい御配慮に対して、敬服感謝しここに謝意を表します。
- 中華民国91(2002)年3月21日
- 台中市政府 市長 胡志強
皆の思いを義援金に

蘇福(スーフー)さん(55歳)利偉(リーウェイ)君(13歳)
利偉君(当時6歳)は両親と3人でマンションの11階に住んでいました。しかし、震災でマンションは全倒壊し、母親は即死、残された2人も、地震から18時間後に、漸く地下から掘り出され助けられました。その間、利偉君は父親の蘇福さんに抱きかかえられていたお蔭で怪我はありませんでした。
しかし、蘇福さんは足に大けがを負い、5回の手術を受け、その上、親類が震災で給付された全ての補助金、慰問金を持ち去ってしまいました。蘇福さんは心労のあまり、一度は脳溢血、一度は心臓病で入院しています。また、愛し子の利偉君を道連れに「何度も自殺を考えたことがあります」と。現在、蘇福さんタクシーの運転手をして休みなく働いています。
未来ある利偉の為にも、お父さんの蘇福さんには、頑張ってほしいと私たちは願っています。
本会は、この親子に対しても、2003年~2006年にかけて義援金を授与しています。
以下に彼らの手紙の一部(抜粋)を紹介します。
- 蘇福(スーフー)さんからの手紙抜粋
- 利偉の為にどんなに苦しく疲れようとも私は粘り強く持ちこたえ、メンバーの皆様の私共親子への御温情御配慮を無にすることはございません。
私は「日本」という国を深く愛しております。これは決してお世辞ではありません。私が日本から感銘を受けたのは、熱心さ、責任感、誇り、そして日本の伝統的な武士道精神です。誤りを犯したときはまず自らを省みて過ちを認め、他人の責任にしないということ、これは学習に敬服に値することです!
最後に、私と利偉は皆さんと緊密な繋がりを持ち続け、永遠に御恩とその御心に報いる気持ちを忘れないでしょう。私は今、残された利偉と互いに支え合って生きています。両親、親戚は皆この世を去り、兄弟姉妹もない一人っ子です。どの様な困難も全て自分自身を頼るしかありません。しかし皆さんは私の永遠の心を許すことのできる大切な友人です。本当に、皆さんに感謝申し上げます。 - 2004.12.9
- こんにちは!メンバーの皆さん、こんにちは!私と「利偉」は皆さんのことをとても懐かしく思っています!
前回、初めて台湾青少年日本体験旅行に参加して日本に参りましたが、このお手配とスケジュールはとても素晴らしいものでした。私と「利偉」は大変楽しく過ごし、より多くの「日本」と日本文化を学びました。本当に皆さん有難うございました!
以前私は「利偉」に、万一、不幸にも私が重い病になったり、またもしものことがあったら、まず皆さんに伝えなさいと話したことがあります。なぜなら、皆さんは私たちの恩人であるだけでなく、私たちの家族だからです。私たちには親戚がいませんので、私は彼に頑張って大人になっていかなければならないと、どんなことがあっても皆さんの期待と心からのご親切を裏切ってはいけないと話しています。
末筆になりますが、ここで再びありがとう!とお礼を申し上げます。 - 2006.5.27






