スリランカへの医療援助
義の国スリランカを本会は応援しています。
光輝く国 スリランカ 生まれ来る命を助けて
故ジャヤワルデネ元スリランカ大統領は、第2次世界大戦後、諸外国が日本の分轄統治を主張する中、1951年9月の対日講和条約会議で「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」という釈尊の御言葉を引用した歴史に残る名演説で、日本の自主独立を導いて下さった日本の大恩人です。
日本が分轄されることなく今日の発展を遂げたのは氏のお蔭といえます。
終生日本を敬愛して下さったジャヤワルデネ氏が1996年11月に亡くなられ、遺言により氏の角膜の一つが日本人に寄贈されました。これを機に、氏の遺徳を偲び、恩義に報いようと、本会のスリランカ援助が始まりました。
発展途上国に於いて、十分な医療環境が整っていない為に妊婦と新生児の死亡率が異常に高い事を憂慮し、援助対象は産科関係になりました。


キャッスルストリート婦人病院への医療援助
1997年8月コロンボの国立キャッスルストリート婦人病院に新生児用医療機器を寄贈。
同年12月、未熟児用保育器3台を緊急追加援助。
1999年12月1日には、デ・シルバ健康栄養厚生大臣参列の下、本会寄贈の新病棟建設を着工。
2003年12月13日、6年4ヶ月越しで漸く完成、スリランカで盛大なオープニング式典が行なわれました。ダヤラトゥネ健康栄養厚生大臣はじめ歴代厚生大臣が参列しました。この援助により、今までなら助からなかった多くの貴い命が救われることになり、参列した一行も、自分達の援助が、このように素晴しい形となって役に立っている事を確認し、また、石碑に刻まれている自分たちの名前を見つけて大感激でした。
ダヤラトゥネ厚生大臣より贈呈された感謝状の盾には、本会の援助に対し、以下のような感謝の言葉が刻まれていました。
山口修源先生 ならびに 善意の方々(日本国ザ・ユニバース)に対し 新生児集中治療室および産科緊急用手術室を 寄贈して下さったことへの感謝の意を込めて 贈呈申し上げます
スリランカ コロンボ キャッスルストリート婦人病院 2003年12月13日
式典では、本会の純粋な「義」の援助に対し、国を上げて感謝され、一行は国賓待遇大歓迎を受け、その模様は、スリランカへの医療援助-ボランティア国際援助スリランカへの医療援助-ボランティア国際援助現地のテレビや新聞でも大きく報道されました。スリランカ側参列者からは、自分たちの宣伝にする目的で援助する団体が多い中、本当に必要とされているものを援助する本会の援助は、「誠に高潔で、真に国家の助けになった」と絶賛の声が上がりました。
本援助により、スリランカ最大の婦人病院から手術室の不足という理由で命を落とす子供はいなくなり、現在、1日約6名の命が新手術室で誕生し、毎月約20人の重篤な状態で出生した赤ちゃんが新生児集中治療室(NICU)でケアを受けています。
式典後、本会の一行は同病院を視察。その時、ちょうど手術を終えた医師はこう語りました。「これまでの2つしかない手術室では、手術室の使用中、更に手術を待っている母子に命の危険がありました。手術に間に合わず、お腹の子どもが命を落とすということがあったのです。しかし、もうその心配はありません。もう命を落とす子はいないのですから」国を超えて、遠い日本から小さな命の誕生を応援する皆の気持ちは、確実に届いていました。
2006年5月、新病棟2階の新生児集中治療室が、漸く正式稼働を開始しました。重篤な状態で生まれた新生児がケアを受けるNICUですが、従来のNICUは、定員4名しかなかった為、新たに重症の赤ちゃんが生まれると、まだ十分に回復していない子でも、NICUから軽症の子が入る新生児棟に移さざるを得ないという状態でした。新NICUには、毎月20人程度の重篤な赤ちゃんを収容して、小さな命を救うことに役立っています。
2005年夏、キャッスルストリート婦人病院を訪れた際、院長より「今、最も必要なのが、患者を市内の眼科病院や胸部病院に送迎するのに使用する15人乗りミニバスです。今は救急車で送迎していて、寝台に母親が赤ちゃんを抱いて乗っており、非常に危険なのです。しかし、スリランカでは車は非常に高価なので、中古車でも良いから、日本で買って援助してもらえないでしょうか」と打診がありました。援助は即決したものの、希望の車種は人気車種で、見つけるのは1年がかりでした。
2006年4月、やっと希望に合うミニバスが見つかり、5月に購入、輸出手続を経て、7月に横浜から輸出しました。
購入した業者の人に、故ジャヤワルデネ大統領への恩義に少しでも報いたくて、スリランカに援助していることや本会の姿勢を話すと非常に感動し、「そういうことであれば、全力でご協力させて頂きます。自分達も見習うべきだと思います。自分も津波の話を聞いたりして援助したいと思っても、コンビニで小銭を入れるぐらいしか方法がわからなくて、こうしてお手伝いできるのが嬉しいです」と、すぐ上司や関連部署に熱心にかけあってくれ、今までやったことのない輸出用の形で販売し、最大限の割引をしてくれました。
また、輸出手続についても、本会がずっとミニバスを探し続けていたことを知っている別の業者が、「見つかったことが大切なので」と、本来であれば自社で購入した車しか扱わないところを、特別に輸出手配のみを快く引き受けてくれました。
人の善意というものがつくづく有難いものだと感じます。このような一人一人の善意こそが、隣人の不幸を救ってゆくのだと思います。
2006年10月、スリランカに到着し、輸入手続を終えたミニバスの贈呈式が、漸くキャッスルストリート婦人病院で行なわれました。現在は、毎日40人程度のお母さんと赤ちゃんを、安全に各病院に送迎しており、病院スタッフも「母親達が楽になりました」と、大変喜んでいます。


スリランカ青少年支援プログラム
2004年12月、インド洋大津波による未曾有の災害で、スリランカが第2位の被災国となりました。
2005年5月、国際支援を求めているスリランカに対し、本会では、スリランカの未来を担う青少年を支援するプログラムを創設し、津波で両親共に亡くした子供達を中心に継続支援を開始しました。
2005年8月、スリランカ青少年支援プログラム支援金授与式典の為にスリランカに向かった本会一行は、孤児が身を置いている各孤児院をまわり、孤児と対面。津波という恐怖に遭い、更に家族を亡くした子たちの心の傷は深いものでした。これからの未来の為に、学費や身の回りのものを整え日々生活に心配のないよう、スリランカ青少年支援プログラムの支援金が役立てられることを祈ります。
本会の定期的援助が決まったことで、貧しくて孤児を引き取ることの出来なかった親戚が、孤児院にいた孤児を引き取ることが出来るようになり、最終的には、津波により天涯孤独になってしまった3兄妹のみを除き、孤児は全員、孤児院から出て親戚に引き取られました。
本会の援助によって手助けを得た子供達が、将来、日本とスリランカの新たなかけ橋となる事を願っています。
マハモダラ総合病院への医療援助
スリランカ南部最大の都市ゴールの中核病院であるマハモダラ総合病院は、2004年末のインド洋大津波の直撃を受け、医師や病院スタッフの家族にも死者が出た他、病棟に壊滅的被害を受けました。
上記2005年8月の式典の際、本会一行は津波被害地域を視察。災害から既に7カ月を経た当時も、未だその爪痕は残され、津波を受けた地域の壊滅的な様子を目の当たりにしました。
その中のひとつであるマハモダラ総合病院は、残された少ない医療施設をフル稼働して、来院する患者や、生まれたばかりの未熟児などの手当をしていました。
2006年2月、本会は同病院に対して、新生児搬送用人工呼吸器を贈呈しました。
また、同院では大津波後、援助された仮設テントにて、分娩や帝王切開術を終えた母子を収容していましたが、これらが破損して感電の危険や衛生的にも危険な状態になってしまった為、テントは撤去され、やむをえず母子達を被災した病棟に収容せざるを得ない状況になりました。3年後に新しい病棟が完成するまで、60名程度の母子を収容する臨時病棟が必要となり、本会に打診があった事で、マハモダラ総合病院への援助が本格化しました。
2007年1月、本会より病棟建設資金が送金されました。本会の支援は、スリランカ政府に報告され、4月には、病棟建設工事に着工しています。
尚、臨時病棟の予定でしたが、3年後にマハモダラ総合病院の再建が完了した暁には、本会の建設した病棟は、診療所として、引き続き地域の医療の為に利用されることになっています。
スリランカの人々
スリランカは仏教国。早朝や休日には、手に沢山の花や供物をたずさえて、仏教寺院にお参りする一般の人々の姿があります。この国には「昔、お釈迦様が訪れた」という言い伝えもあるほど。
同じ仏教国である日本人に対しては、とても親しい感情を持っています。また、「アジアの自主独立を促した日本を尊敬している。日本人は立派だと思う。自分たちの父親はよくそう言っていた」という人もいます。
終生日本を敬愛して下さった故ジャヤワルデネ元スリランカ大統領は、「仏教を精神的基盤とする日本とスリランカ国民が共に手を携えて、人類の生命の尊厳を十分満たし、平和と繁栄に前進することを祈る」と日本への遺訓を残されています。スリランカ国民の誰に聞いても、故ジャヤワルデネ元スリランカ大統領が優しく、人々や動物を愛していたことを語ります。
既にジャヤワルデネ氏の記念館となった邸宅には、生前の氏の国際的活躍を物語る沢山の写真が飾られ、中には昭和天皇に謁見された写真が高く掲げられていました。若き氏は、昭和天皇がスリランカを御来訪された折、喜び勇んで、御到着された船着き場まで走って行ったといいます。スリランカを訪れ、日本という国の精神性を深く敬愛した氏の残された想いに触れると、改めて「日本」という国、そして日本人に対しての認識を新たにするところがあります。
現在、スリランカで激化している民族紛争が一日でも早く治まり、人々の平和な生活が取り戻されることを祈ります。
「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」と故ジャヤワルデネ元スリランカ大統領が語られた釈尊の言葉のように。
スリランカ医療援助経過
1997年8月
コロンボ キャッスルストリート婦人病院への医療器具援助。贈呈式。ファウジー厚生大臣が参列
- 吸引ポンプ/30セット(320万円相当)
- 光線治療機/10セット(230万円相当)
- 輸液ポンプ/10セット(250万円相当)
- パルスオキシメーター/3セット(200万円相当)
1997年12月
- コロンボ キャッスルストリート婦人病院への未熟児用特殊保育器/3セット支援(200万円相当)
1999年12月
- コロンボ キャッスルストリート婦人病院の新手術室および新生児集中治療室 着工式。デ・シルバ健康栄養厚生大臣が参列
2003年12月
- コロンボ キャッスルストリート婦人病院の新手術室および新生児集中治療室 寄贈(6,000万円相当)
- オープニング式典。 ダヤラトウネ健康栄養厚生大臣(当時現職)を始め、歴代厚生大臣、スリランカ政府官僚約20名、病院関係者と共に本会スタッフ、高額寄付者の会員代表他 総勢23名が参列
2005年5月
- スリランカインド洋大津波の被災孤児援助開始(以後継続送金)
- 南部600人の被災孤児・片親を亡くした遺児に生活費等として第1・2回支援金授与(70万円相当)
2005年8月
- スリランカ青少年支援プログラム支援金授与式典開催。保健保護監察児童保護省ピヤシリ南部担当大臣が参列
- 279人の孤児に対する第3回支援金授与(35万円相当)
- 孤児の里親募集開始
2005年9月
- スリランカ青少年支援プログラム支援金授与(35万円相当)
2005年10月
- スリランカ青少年支援プログラム支援金授与(35万円相当)
2005年11月
- スリランカ青少年支援プログラム支援金授与(35万円相当)
2005年12月
- スリランカ青少年支援プログラム支援金授与(35万円相当)
2006年1月
- スリランカ青少年支援プログラム支援金授与(40万円相当)
2006年2月
- インド洋大津波被害地域スリランカゴール マハモダラ総合病院に新生児搬送用人工呼吸器を援助(180万円相当)
- コロンボ キャッスルストリート婦人病院に新生児搬送用保育器を援助(80万円相当)
- 本会援助のコロンボ キャッスルストリート婦人病院新病棟エレベーター工事完了
- スリランカ青少年支援プログラム支援金授与(25万円相当)
- 被災孤児家族の生活援助の為に事業資金とミシン等を援助/被災孤児の歯の治療費援助(7万円相当)
2006年7月
- コロンボ キャッスルストリート婦人病院に検査母子搬送用のミニバスを援助(300万円相当)
2006年10月
- コロンボ キャッスルストリート婦人病院にて本会援助の新生児集中治療室(NICU)の正式稼働およびミニバスの贈呈式。デ・シルバ健康栄養厚生大臣が参列
2007年2月
- ゴール マハモダラ総合病院へ臨時病棟およびステンレス製車椅子や備品等 費用送金(1,000万円相当)
2007年4月
- ゴール マハモダラ総合病院の臨時病棟建設工事着工
2007年12月
- ゴール マハモダラ総合病院の臨時病棟完成 寄贈(1,120万円相当)
- オープニング式典。デ・シルバ健康栄養厚生大臣、政府関係者、病院関係者および本会スタッフ、会員代表他 7名が参列
- スリランカ青少年支援プログラム継続の必要性を確認する為、児童保護局の書記官と面談
- ゴールの孤児院訪問。里親からの手紙に返事がない原因・孤児の状況・里親による援助の必要性確認
2008年1月
- 里親と孤児の文通開始
- 身寄りのない孤児支援についての調査開始
- キャッスルストリート婦人病院の新生児棟の改修工事費用およびX線装置付保育器5台の費用 送金(940万円相当)
- キャッスルストリート婦人病院上級看護士の交換研修プログラムの費用援助決定
2008年2月
- キャッスルストリート婦人病院の新生児棟の改修工事開始
- キャッスルストリート婦人病院上級看護士の交換研修プログラムの手配と航空券費用送金(50万円相当)
2008年3月
- キャッスルストリート婦人病院上級看護士の交換研修プログラム
















